昭和40年08月04日 夜の御理解
(途中から?)
会議から会議でございましたから、こんなに遅くなったわけですけれども、ただ今お礼を申させて頂いてましたら、菊栄会に古賀新二さんという方があります。今日もあの夕方あの写真版のほう、写真の方をちょっとかまっておられる方なんです。古賀新二さんを御心眼に頂いてから、それにあの古賀新二ってその人間に仮名遣いするように下さるんですね。それがあの古賀さんのは、古賀新しい二つと書いてある。
けれども私が頂くのは、古賀新しい司ると書いてある。今日私頂くのがね今晩のこれが御理解だと私は思ったんですけれども、教祖の神様はこの方の道は喜びで開けた道だと仰るです。ですから喜びでなら、苦労はさせんと仰るくらいで御座いますから、私古賀ということは、あの古いこと囲むこと、囲む例えば困ったなぁとか難儀だったな、と言った様な事をですね、あの事のおかげでとこう喜ぶことだと私は思うんです。
それが新しく道を開いて下さるのであり、司って下さるのはその喜びからだと言う事を、これまた私自身の体験からもそれが言えます。どのような場合でも、いわゆる古賀新司でいかにゃいけませんですね。あぁあれがああでなかったらよかったけれども、と言った様な事ではなくて、あのおかげでと言う事にならなければならん。もう必ずそうなのですから。いわゆる古賀の古いと書いてあるでしょう、古い喜び。
過去のことを喜ぶということ。それが新しい、今度はより以上のおかげの道が、その司るものは、そのことを喜べれる、新しい喜びということだと思うんですね。その古賀新司ということからそんなことを感じました。どうでも一つもう、その、無理にでもです、やはり喜ばせていただく稽古をせにゃいけません。ね、
おかげで、そん時のおかげでと、あの事のおかげでと、ね、あれもおかげであった、これもおかげであったと、分かるようになると、一人前の信者とも、仰っておられます。ですからあの事っていう過去の事。これもっというのは現在現実の問題。その一切を喜べるようになったら一人前の信者だと仰るくらいで御座いますからね、どうぞお繰り合わせを頂いてから一つ、古賀新司で道を開いて頂かなければなりません。
新しい道を例えば人間の見た、考えたりしたとこでは、これは失敗だったと言った様な事でも、やぁおかげだなとこう言えれる信心なのですねいわゆる。そこに新しい喜びが生まれる。その新しい喜びが、新しく、道を司る。ね、道は、方向付けられる、という事だと私は思うんです、ね。
どうぞおかげを頂きますように。